中曽根の対米外交の再評価 〜 上 高 司 序 論-中曽根就任時の国際情勢と日米関係1 中曽根政権発足時の国際情勢は米ソ冷戦の真っロバ中にあった。ソ連では、八二年十月十日にブレジネフソ連共産 中曽根の対米外交の再評価 〜 上 高 司 序 論-中曽根就任時の国際情勢と日米関係1 中曽根政権発足時の国際情勢は米ソ冷戦の真っロバ中にあった。ソ連では、八二年十月十日にブレジネフソ連共産 newsポストセブン 「大勲位」中曽根康弘・元首相は5月27日に100歳の誕生日を迎えた。背筋をピンと伸ばし、いまなお、決して椅子の背もたれに体を預けようとはしない。 Copyright © 2020 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved. 安倍総理と同じ「保守政治家」にして「改憲論者」であった中曽根康弘元総理大臣(96)。’82年、中曽根政権がスタートしたとき、日韓、日米関係は戦後最悪といっていい状況だった。同氏の秘書を20年以上務めた、田中茂みんなの党参議院議員(56)は次のように話す。, 「前政権の鈴木善幸内閣で、園田直外相が円借款を求める韓国に対し、“韓国では嫌いな相手からカネを借りたり、技術を教えてもらう社会習慣でもあるのか?”と公式の場で発言。さらに、鈴木善幸首相が“日米同盟は軍事同盟ではない”と発言し、日米関係もギクシャクしていた」, 「初動の早さ」を危機管理上の第一に挙げた中曽根は、就任早々、米国より先に韓国の全斗煥大統領に電話。訪米の直前に韓国を訪問し、日韓関係を修復した。と同時に、防衛費の増加、対米武器技術供与という“おみやげ”を手に訪米。レーガン大統領との会談は成功し、日米関係修復にも成功した。以後、「ロン・ヤス」は、戦後日米外交史上、もっとも良好な関係を持続していく。, 初動だけではない。中曽根が危機管理上、重要視したのが「柔軟性」だ。その象徴が、靖国参拝だった。’85年、歴代総理として初めて終戦記念日に靖国神社に公式参拝。だが、その翌年、A級戦犯の合祀問題が浮上すると、中曽根は即座に、靖国参拝を取りやめた。, 「当時、中曽根は“風見鶏”と揶揄されたが、“定見のある風見鶏は悪くない”と意に介さなかった。中曽根は、けっして二国間だけで外交を考えない。その裏にある国際情勢を念頭に置いていた。当時、市場経済化に踏み出した中国を西側陣営に引き込むことが戦略上重要だった。靖国参拝をすれば、良好な関係を築いていた胡耀邦総書記長が国内政治上危機に陥るかもしれない。ならば靖国参拝はしない、というのが中曽根の判断でした」(田中氏・以下同), 現在の安倍首相が、そして各国リーダーが耳を傾けるべきだろう。韓国、中国に歩み寄ったからこそ生まれた最良の日米関係。安倍政権が「中曽根外交」から学ぶべき点は多い。, 「中曽根は“総理の一念は狂気であり、権力は魔性である”と、権力が持つ恐ろしさを実感していた。魔性にとりつかれ、独断に陥る自分を戒めるために、あえて、自派ではなく、最大派閥の田中派に属した後藤田氏を官房長官に据えた。中曽根の謙虚さが、戦後稀有な危機管理能力を備えた政権を作りだした。後藤田氏は、中曽根のことを嫌いだった。でも、政権が終わった後“あんなに立派な総理はいない”と語っていましたよ」, この“中曽根康弘を最もよく知る最後の秘書”といわれる田中氏が書いた『100歳へ! 中曽根元首相死去:業績は「外交は満点・内政は零点」 / 中曽根元首相死去。「外交満点、内政零点」というのが私の評価である。外交については、フランス語、英語の両方ができてサミットでも主導権を取れた。 ただし、韓国に歴史認識問題で譲歩しすぎたのは汚点。 Amazonで中曽根 康弘の中曽根康弘が語る戦後日本外交。アマゾンならポイント還元本が多数。中曽根 康弘作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また中曽根康弘が語る戦後日本外交もアマゾン配送商品なら通常配送無料。

、道下徳成/編 、楠綾子/編 中曽根康弘/著 、中島琢磨/編 、服部龍二/編 、昇亜美子/編 、若月秀和/編 、道下徳成/編 、楠綾子/編 、瀬川高央/編 、瀬川高央/編, 常に外交の現場に居合わせ、重大な決断を下した人生を振り返り、将来の日本の指針を示す。, 終戦後、青年政治家として抗した吉田茂の対米依存外交。閣僚や党幹部の立場で取り組んだ日米安保条約、沖縄返還、石油危機。そして、首相期に築いた史上最強の対米・中・韓関係とソ連崩壊――。戦後外交の流れを全て知る大政治家が、気鋭の研究者七名とのインタビューを通し、首脳間で交わされた激論や外交交渉の裏側を語り尽くす。, 1918(大正7)年群馬県生れ。東京帝国大学法学部卒業後、内務省入省。海軍主計少佐、警視庁監察官等を経て、1947(昭和22)年衆議院議員に当選。1959年科学技術庁長官、1967年運輸大臣、1970年防衛庁長官、1972年通産大臣、1980年行政管理庁長官等を歴任し、1982(昭和57)年内閣総理大臣に就任。首相在職日数は1806日。著書に『青年の理想』『日本の主張』『新しい保守の論理』『中曽根康弘句集』『政治と人生』『天地有情』『自省録』『保守の遺言』他。公益財団法人世界平和研究所会長。, 1976年生れ。鹿児島大学法文学部卒、九州大学大学院法学府博士後期課程修了。博士(法学)。龍谷大学法学部准教授。著書に『現代日本政治史3 高度成長と沖縄返還 1960~1972』(吉川弘文館、2012年)など。, 1968年生れ。京都大学法学部卒、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(政治学)。中央大学総合政策学部教授。著書に『広田弘毅』(中公新書、2008年)、『日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010―』(東京大学出版会、2010年)、『日中国交正常化』(中公新書、2011年)など。, 慶應義塾大学法学部卒、慶応義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(法学)。政策研究大学院大学客員研究員、慶應義塾大学非常勤講師。主要論文に「ベトナム戦争――パックス・アメリカーナの変容と日米関係」(『「戦争」で読む日米関係100年―日露戦争から対テロ戦争まで―』朝日新聞出版、2012年)など。, 1970年生れ。同志社大学法学部卒、立教大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。北海学園大学法学部教授。著書に『「全方位外交」の時代―冷戦変容期の日本とアジア 1971~80年―』(日本経済評論社、2006年)、『現代日本政治史4 大国日本の政治指導 1972~1989』(吉川弘文館、2012年)など。, 1965年生れ。筑波大学第三学群国際関係学類卒、ジョンズ・ホプキンス大学(SAIS)修士・博士課程修了。博士(国際関係学)。政策研究大学院大学准教授、同安全保障・国際問題プログラムディレクター。著書に『North Korea's Military-Diplomatic Campaigns, 1966-2008』(Routledge,2009)など。, 神戸大学法学部卒、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。関西学院大学国際学部准教授。著書に『吉田茂と安全保障政策の形成―日米の構想とその相互作用 1943~1952年―』(ミネルヴァ書房、2009年)など。, 1977年生れ。札幌大学経済学部卒、北海道大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。北海道大学公共政策学研究センター研究員。主要論文に「『ロン・ヤス』時代の平和と軍縮」(『年報 公共政策学』第4号、2010年3月)、「冷戦末期の日米同盟協力と核軍縮」(『国際政治』第163号、2011年1月)など。, Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved.